パレスチナ旅行記
ノーコメント。

2012/12/1(土) 73日目 イスラエルの中のパレスチナの中のイスラエル
【本日の行程:エルサレム ⇒ ベツレヘム ⇒ ヘブロン ⇒ ベツレヘム ⇒ エルサレム】

300人の住人を守るために、4000人の兵士がいるんだ。
おかしな話だろ?
















パレスチナが国に格上げされた!!
正確には、投票権はないが会議に参加できる権利を得たようです。

せっかくだし行ってみます。



パレスチナって、エルサレムのことじゃないんですね。
イスラエルの中で水滴のようにまだらに区画分けされた部分があり、
そこがパレスチナだそうです。

イスラエルの中にたくさんのバチカン市国みたいな場所が点在してる、ってイメージですね。
なので、観光地化されたパレスチナ自治区までは、エルサレムからバスで行けます。

21番バスに乗ってー。




・・・・。





おー、フェンスが見える!

こりゃ隔離されてんねー。






・・・・・。





パスポートチェックポイントがあるって聞いたんだけど、いつ着くのかな。。
つーか、壁っていつ越えるんだろう。







あれ、バスが町の真ん中で止まった。。




運転手「フィニッシュ!!」

気づいたらもうパレスチナに入ってた。。
※パスポートチェックは帰りのバスでありました。



ねぇ、全然都会だよ?混沌した抑圧された空気は一切ないよ?
なんかイメージ違うなぁ?
いや、でもそれって良いことだよね。町に不満が立ち込めてるって、良くないよね!






到着したのはベツレヘム
ここにはキリストの生まれた場所、聖誕教会があったりと、
アラブ人の町、パレスチナなのにキリストの観光地があります。
だけど、すっげー普通の観光地。
うんうん、教会だねー。。



うん、見たかったのは、ココじゃない!

他の日本人の方のおすすめは、ここベツレヘムではなく、
ここからさらに南へ下ったヘブロンという町だそうです。
何があるか分からんが、とりあえず行ってみよう。
でも治安って大丈夫なの?
観光局の人に聞いてみる。


我「治安って大丈夫ですか?」

観光局「ノープロブレム!」

よっしゃ、ヘブロンへ向かいます!!

バンのシェアタクシーみたいなのに揺られてー。

一度パレスチナ(ベツレヘム)を出て、イスラエルを通り、さらにパレスチナ(ヘブロン)に入ります。
パレスチナって、飛び地で構成された国なんですよね。
これ、正式に国になった場合、どうするんだろう。。




ヘブロンに到着ー。



あらやだ、ここも都会ですわっ!
でもさらにアラブの都会な雰囲気になりました。
旧市街を目指して歩きます。


旧市街の露天通りには、頭上にフェンスがあります。



それは昔、ユダヤ人が嫌がらせのため、上に住むアパートの窓からゴミを落としてきたからだそうで、
そのゴミを防ぐためにフェンスを作ったのだとか。



旧市街を歩くと、いろんなアラブ人が話しかけてきます。
ほとんどは、イスラエル人がどう自分達の土地を奪ったのかを力説してきます。




OPEN SHUHADA STREET

「イスラエル人がこの道を封鎖したんだ!」

アラブ人が寄ってきて、また力説を始める。

「この壁の向こうはユダヤ人居住地になっているんだ。
でも、そこにいるのは300人の住人。そして4000人の銃を持った兵士。
300人の住人を守るために、4000人の兵士がいるんだ。おかしな話だろ?
昔は向こうにも一杯店があったけど、今は全部シャッターが降りてるのさ。」


なるほど、確かに一理ある。

「ここの屋根に上るとユダヤ人居住地が見えるんだ!
200シュケル(4000円くらい)でどうだ?」

てめぇ、金取るのかよ?




では、早速、噂のユダヤ人居住区に入ります。
この壁の向こうはパレスチナではないんですね。
兵士がいて、あるようなないようなセキュリティーチェックを通ります。

ゲートをくぐると。。











すっげー寂れた雰囲気。な、なんだ、ここ・・・?
完全にシャッター商店街。
映画のセットのような、物凄い空虚な空間が広がっておりました。

少し遠くに目をやると、そこにはパレスチナの国旗。

たったの道路2~3本分の範囲。
そこだけがユダヤ人居住区でした。








人のいないだたっぴろい道に、必要以上に掲げられた大量のイスラエル国旗。
ここはイスラエルの中にあるパレスチナの、
さらにその中にあるイスラエルでした。


頭で理解できても、なんとも背筋が冷えるこの雰囲気。



道を歩いていると、頑丈な網で囲われたアパートのベランダ。



そのベランダにはポスターが貼ってある。

「この道はイスラエル人に取られました。
あなた達はアパルトヘイトだ。」


このアパートの入り口は一本向こう側の道、パレスチナ側に入り口があり、
たぶん住んでる人もパレスチナ人なんだろう。



さらに歩くと、今度はイスラエル側の言い分。





「この建物は1807年にヘブロンのユダヤ人共同体によって
購入された土地に建てられた建物です。
この土地は1929年に、
ヘブロンに住む67人のユダヤ人が殺されるとともに、
アラブ人によって盗まれました。

私達は正義を要求する!私達のものを私達に返せ!」














おいおい、なんだここ。
もう全体的に、何か不協和音が鳴り響いてる。

一応、アラブ人もこの区域を通り抜けられるみたいで、
スカーフを被った奥様達が険しい表情で買い物袋を肩に下げながら町を歩いていました。



町はアラブ人が言っていた様に、住民よりも兵士の方が圧倒的に多い。
皆が銃を片手にこの狭い地区を闊歩している。
やっぱり銃を持っている人の側を通るのは怖い。

そして道の先には扉があり、その向こう側の道は自分がさっき通った道。




ユダヤ人居住区の中から町を見下ろす。
どこからがユダヤ人居住区で、どこからがパレスチナなのかは一見分からない。
だけれども、良く見ると有刺鉄線や壁が建物の隙間にちゃんと存在する。




ヘブロンの、さらにこのユダヤ人居住区まで来て、
パレスチナ問題は何なのか、少しだけ触れられた気がします。

どっちが先か。
どっちが奪ったか。
どっちがどれだけ酷い事をしたか。

恐ろしいほど長い歴史の上に積み重ねられてきた負の感情が、
この壁一つを境にして渦巻いていました。



この境がなくなる日は。





もう一度、パレスチナに入って旧市街を通る。

OPEN SHUHADA STREET
WELCOME TO PALESTINE

最初、どうしてこの文字が真っ赤で飾り気がないのか疑問に思いながら眺めていました。

この文字は決して観光客に向けて書かれた文字じゃなかった。

この扉が開くとき。
それが、血にまみれた開放ではなく、
平和に満ちた瞬間であることを、心から願っています。
サイトマップ
inserted by FC2 system