サモア旅行記
れっつらサモア。

2009/9/30(水) 他人の不幸に対する無関心


サモア時間で9月29日、日本時間で9月30日。

サモアで地震が起きた。

サモアの首都アピアの南沖190km、震源の深さ18km、モーメントマグニチュード8.1

死亡人数はサモアで約150人、米領サモアで約30人、トンガで9人

津波でやられたらしい。



仕事をしていたのでニュースを細かく確認することができない。
テレビでもたいして大きな報道はなく、情報も集まらない。

どこで?誰が?

アピアは大丈夫だったんだろうか?
サモアのパパは大丈夫だったんだろうか?
一人そわそわする。


昼休憩。

同僚に「サモアの地震が心配」と話すと、
多少話題につきあってくれるが、数分後には午後の仕事の話で盛り上がっていた。

私はそれどころではない。
でも、別にサモアがどうなろうが、大抵の日本人にはまったく関係のない話なのだと悟った。





メモ帳にサモアのパパの電話番号を控えてある。

生まれて初めてかける国際電話が安否確認になるとは思ってもみなかった。
突然知らない番号からの国際電話がかかってきて、普通は電話に出るだろうか。
もし出てくれなかったら、それは死んでいるのか、単に出ないだけなのか、
どっちを意味するのかはこちらで判断することができない。

あの夜、教会で真面目にキリストに祈っておけば良かったのだろうか。

お願いします、出てください。








ぷるぷるぷる。






がちゃ。
誰かが電話に出た。



我「はろー。私は日本人で○○と言いますが、サモアのパパの電話番号でしょうか。」

??「・・・・。














おおおおおおおおおおおおおおおおお!
息子よぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!!!!


電話してくれたのか!!?」



我「パパ!?」

パパ「おう、私だ!」

我「良かった無事で!アピアは津波は来なかったの!?」

パパ「ああ、アピアは大丈夫だったぞ。」

我「良かった、どんな感じ?」

パパ「大きな揺れの後、町中に津波警報のサイレンが鳴ったんだ。
だから急いでバイリマ地区の知り合いの家に移動したんだ。
バイリマは山の方にある地区で比較的高地だからな。
結局、アピアには津波は来なかったよ。」

我「いや、本当に良かった!」

パパ「お前から電話がかかってくるなんて!アイラブユー、さぁーん!!」

我「みーとぅーみーとぅー!!」














ふと、考えてみる。
果たして私は今迄、他の国の地震や不幸に真剣に心を痛めていただろうか。

結局、朝のワイドショーで他国の不幸を知ってその瞬間心を痛めて、
けれども会社に行って大きな問題があれば、
もう他国の不幸よりも目の前の仕事の問題解決のほうがよっぽど重要な議題だった。

第一、世界中の不幸に全て深く心を痛めていたら、
たぶん人は毎日24時間、永遠に心を痛めていないといけないと思う。



今回はたまたま私の愛着のある国が被害にあった。
私はとても心配していて、他の人は無関心。

それは当たり前なんだなと思う。








あの時、サモアのパパとはもう二度と会えないのかなと思ったが、
冗談でも“そういう意味”で二度と会えないとは考えていなかった。

それは誰にだって言えるし、外国じゃなくても日本でも同じだと思う。



会いたい人にもう一度会いたい。


人生で最も深く願った一日でした。
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